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環境としての作品──事物を身にまとうこと

 

山﨑成美

 

私の制作のモチベーションは、事物を通して別世界を生々しく感じることだ。事物に触れる、見ることで、自分がいる環境と異なる世界に身を包もうとする行為、或いはそのような行為を可能にする事物に関心がある。別世界への志向は珍しくはない。神話や宗教に、いくらでも見つけることが出来る、大昔から存在する欲望である。

 

違う世界が伝わってくる、出会っている、と感じさせる場面として直ぐに思い浮かぶのは、事物それ自体が、直接、ある世界を展開する場合だ。例えば、隕石や恐竜の化石、異国の土産物である。

 

ヘラクレスはギリシア神話の英雄だが、獅子の毛皮がトレードマークの一つとなっている。古代ギリシアの壺には、頭付きの獅子の毛皮を頭から被るヘラクレスの姿が描かれている。獅子の毛皮とヘラクレスにまつわる話は、12の功業の一つである、ネメア地方の獅子を素手で倒し、その毛皮を鎧としたエピソードが知られる。刃物を受け付けなかったというネメアの獅子の毛皮を身に付け、ヘラクレスはその能力を身に纏い、獅子と似た者になる。

 

獅子の毛皮を被るヘラクレスの姿とは何か。神と人の間に生まれた英雄に相応しく、彼が獅子より強く、超人であり、人とは別の世界に彼が所属していることを告げる。同時に、獅子の毛皮そのものが、獅子の存在、獅子が暮らす環境を、見る者に生々しく語りかける。毛皮の衣が、ヘラクレスに複数の世界を身にまとうことを可能にしている。

 

己を包む世界を変えるために事物を身にまとう。動物の毛皮のような、直接ある世界を伝える事物なら、私達は視覚や触覚、嗅覚などの五感で情報を受け取ることが出来る。世界を身にまとう手段としては原始的であるが効果的である。ある世界そのものでもある事物に触れることは、直接、世界に繋がることだからだ。しかし、自己を包む世界を変える事物は、身につけるものだけではない。より馴染み深い物の一つとして書物がある。世界中どこに居ようと、ページを捲れば現実を忘れ書物の世界に浸ることが出来る。私達が書物を通して身にまとう世界とは、文字や絵で綴られた誰かの見聞した世界、想像の世界である。書物のもたらすリアリティは間接的で弱い。しかし、間接的で あることで、天国地獄、過去未来問わず、あらゆる世界を描くことが可能になる。

 

事物を使って世界を身にまとう方法について考えるとき、見過ごせない問題がある。私達がそれをどう読み解いているかという点だ。別の言い方をすれば、私達がどのような感覚器官を使って、事物に潜む情報を受け取っているかということである。事物の構造が違えば、当然それを知覚する私達の感覚器官の使い方も違ってくるはずだが、実際は違う。私達は、事物に合わせて、自在に感覚の使い方、その割合を、その都度、再構成出来るわけではない。例えば、中世のキリスト教写本は、私達の知る書物と見た目は同じだが、読み方は異なっていた。中世における読書とは主として詠唱であった。唇で言葉を発し耳で聞く。言葉をからだ全体で体験する、まさに自己を包む環境を変 えようとする積極的行為であった。

 

黙読する習慣に慣れていると、読み方が異なることに気がつかない。私達の周囲にある多くの書物は、黙読が前提とされているだけでなく、私たち自身も、眼で文章を読むことで十分に 内容が伝わるような技術を長い時間をかけて身につけて来た。この環境に暮らす以上、読み方を無理に変える必要はなく、一々変更することは非効率的である。いったん築き上げられた回路は強力だ。それは、例えるならば、たとえ裸になろうとも脱ぐことの出来ない服なのである。中世の写本の事例は、事物を読み解く以前に私たちが身にまとっている環境があり、それと異なる環境で作られた事物が目の前にあっても、十分に読まれないまま目の前にあるという事実を突き付ける。

 

内容だけでなく、書物という形式自体が持つ環境を考える必要がある。まずは、書物の物質性だ。書物は書物である以前に植物の体である。ある種の虫達にとって書物は御馳走でしかない。もう一つは、人間文明の産物という側面である。私達の歴史の中で、書物は、メッセージが記される場所として主要な地位を確立してきた。その歴史があるから、私達は真白いページを見ても、そこに何か書けば言葉、意味として了解されるだろうと理解出来る。書物は、私達の文明が形をとった環境の物質化でもあるのだ。

 

書物もまた、複数の世界を抱え込んでいる。ヘラクレスの獅子の毛皮が複数の世界を引き連れていたのとは違う次元で。事物を使って、ある世界を身にまとう方法について考えるとき、事物そのものが抱えている世界と、私達がそれとどう繋がるか、考えてみる必要があるだろう。

 

私は現在、熊をモチーフに紙を使った立体作品を制作している。実物大で熊の外側だけを作り、それを壊して、熊皮に繋がる紙を得ようとした。そうした過程を経た紙に更に手を加えていく。実際には遠く離れていようと、動物が側にいる世界に身を包む造形を求めたことから展開している。なぜ紙かと問われれば、紙は既に複数の世界を内包するが、記述の方法次第では、まだまだ多くの世界を組み込めるからだ。紙、そして書物が、 私達の日常において別の環境と繋がる強力な事物であることも重要な点だ。

 

私にとって、紙に動物がどのようであるかを描写することは重要ではない。紙が支える世界の中と、私たちの体の中に、回路を作ることの方が重要である。しかし、事物を使って生々しく、ある環境に身を包むためには、個々人の記憶、身体的感覚に大きく左右されると実感している。回路が出来るまでは、情報は読み取られないまま潜伏することになる。私にとって制作は、日々回路を強化していくことに他ならない。

 

2014

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